大阪で太陽の塔を見てきた
1970年 expo70は当時の少年の夢であった
当時の子供にとって東京~大阪間は今の数十倍も遠かった
とてもじゃないが連れて行ってくれと親に頼むことすらできなかった
だからこそテレビ 雑誌からの情報だけが万博の全てだった
あれから半世紀 遂にかつての万博会場に足を運ぶことが出来た
何故今頃太陽の塔なのか?
それは重松清の「トワイライト」という小説の核をなす部分の舞台であった影響である
その中で現在の太陽の塔を
「未来の残骸」と表現している
更に
「1970年の少年の目に21世紀の予想図を刻み込んだ万博会場は 21世紀の今 訪れなかった未来を懐かしむ場所になってしまったのかもしれない」
流石だ重松清
今の万博会場を的確な言葉で表している
この小説を読んでどうしても太陽の塔を見たくなってしまった
実際見ると本当に大きく迫力がある
モノレールの万博公園前駅を出てすぐにこの異形の圧倒的な造形物が顔を出す
大きな造形物は大体信仰の対象になっている
なのに何だこの太陽の塔は
見る者を圧倒する力がそこにあるが しかし何のために今そこにあるのか
近寄ってみれば風雨に晒されて汚れを纏ってただそこに在る
そして当時を知る者としては何故か悲しくも感じる
太陽の塔をとりかこむ大屋根もエキスポタワーも撤去され薄汚れたままポツンとおきさられた姿を晒し続ける
さだまさしの名曲「案山子」の歌詞が頭に浮かぶ
田んぼに置去られた冬のかかし
それと同じで ただ一つだけ取り残されてそこに佇む夢の遺物
なまじ存在感がすごいだけにその悲しみも大きく感じる
expo70のテーマ「人類の進歩と調和」の象徴として作られたこの建造物
今はただ 訪れなかったあの頃の未来の残骸 という表現がぴったり当てはまる
上部の金色の顔は明るい未来の顔
真ん中の顔は現在の顔 後ろの黒い顔は過去の顔
現在の顔がちょっと苦しそうに見えるのは昔も今も変わらない
訪れたのは日曜の午前中更に小雨模様とあってあまり人もいない
万博のあの熱狂騒ぎも今や昔話となってしまった
万博ブームに乗ってあの頃の少年雑誌の巻頭に50年後の未来のイラストがたびたび出ていたが
空を走る車 透明チューブの中を走る列車
学校ではロボットが先生だったり実現しなかった夢もまた多い
コンピュータや電話等は当時の予想を超えてインフラとなったが「進歩と調和」の調和部分は昔とあまり変わっていない
ロシアは戦争仕掛けるし 米ソ対立は米中対立に変わっただけだし
まぁ 私の寝室の蛍光灯も未だに伸び縮みする延長ヒモを付けてON/OFFしているくらいだから50年たっても全く進化していない
意外とそんなに物事は変わらないのかもしれない
これから先50年後の世界を私は見ることが出来ない
せいぜい後20年なら見る事が出来る
社会はどう変わっているのだろうか?
そして私の部屋の蛍光灯の延長ヒモはまだ着いたままなのだろうか?